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HAMPI−滞在編その1 | |||||||||
ちょっと間があいてしまったが、今度はHampiでの生活について話したいと思う。ク ライミングの話が終わってもうこれ以上はいいよ、という人にはこれ以上は余分な話 かもしれない。だけど、僕が心底Hampiを気に入ってしまった理由はその岩だけでは ないのである。 今まで行った中でもアメリカのビショップ、フランスのフォンテーヌブローなんかの ボルダーエリアのほうがトポもしっかりあって、宿泊だって無料でできるし、登る環 境もよくて、もちろんまた行きたいと思っているのだが、でもきっとその前にまた Hampiに来てしまうだろうと思う。それはここでの生活、人々が本当に好きになって しまったからだ。クライミングの旅に出ると、だいたいどんな場所でも良いクライミ ングエリアであれば、クライマーは集まってくるし、共通の話題があり、友達になれ るものである。事実今回もこれからも付き合っていけそうないい奴らに出会うことが できた。でもここHampiでは、そればかりではなかったのである。 | |||||||||
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僕の部屋は村の人々の生活の真っ只中にあった。そこでの生活は、ツーリストタウン
ではあっても、彼らの日常の生活の中に自然と入っていくものとなった。そのなかで 親しくなったHampiの友人たちについて書いてみたいと思う。 まずはゲストハウスのオーナー、ムルスンジャヤ。ゲストハウスとその隣の製粉所を
営んでいる。この辺りの電気の管理者でもあり、Hampiでもっとも成功した裕福な人 間の一人である。この親父には朝のおめざに屋台のチャイに誘われ、すっかり僕も習
慣になってしまった。インド人なら1ルピー、ツーリストは5ルピーなので、一緒に行 けばいつもおごってくれる。地元のインド人しか入れないような店や自宅にも招いてくれて、しょっちゅうご馳走になっていた。チャリンコもただで貸してくれた。その
親切のせいで対岸に移動できなかったのだが・・・。次回訪ねた時には、僕が教えた 日本語でゲストハウスの名前が壁にペイントされているはずである
僕の部屋の前はちょっとした広場になっていて、みんなの交流の場である。その中心 になっているのが2件のキオスクである。子供たちから大人まで、それぞれ駄菓子や タバコを買いにきては遊んだり井戸端会議を始めたりしている。僕もキオスクはいつ も利用していたが、目の前だけに気を使って、一軒では水や行動食、もう一軒ではタ バコとなんとなく使い分けていた。一件は足の悪い若い女性とそのお母さんが店にい る。その娘には手の甲にペイントをしてもらった。もう一軒のキオスクはまるで昔の 日本の古きよきオババといった感じで、時々いたずらな子供たちを怒鳴ったりして、 やさしくも厳しくもあり、なんだかすごく存在感がある素敵なオババであった。 そして、インドといえばカレー。帰ってきていろんな人に「カレーばっかり食べてい
たの?」とか「下痢はしなかったのか?」と聞かれるが、答えはカレーばっかり食べていて、下痢はしなかったのだ。南インドではターリーという定食がポピュラーである。2〜3種類のカレー、ご飯、チャパティ、プーリー、ダヒ(ヨーグルト)を基本とする大皿料理だ。カレーとひとくちにいってもいろんな種類があって、カレーのメニューのほかに各野菜のマサラ(一番一般的なおかず、これもカレーといえる)、サモサやパコラなどやはり香辛料の効いた食べ物などバリエーションは豊富だ。だから、たまに朝飯にトーストやパンケーキを食べる以外はほとんどいつもカレーふうなものを食べていたのである。しかしそれが苦痛でなく、むしろかなりフィットしていたのである。やはりその国の食べ物というものはその風土に合うものなのだと感じた。もっとも僕は日本でもカレーばかり食べていたのだけれど。
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