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印度日記 2006その1
出発まではやっぱりドタバタしていた。ノースフェイスカップ後の復旧を終え、留守の間の準備をし、気がついたらもう明日出発だ、という感じ。何時に家を出れば間に合うのか調べたのは出発の前日だった。
よく言えば、旅慣れなんだろうけど、出発前のあの胃が締め付けられるようなヒリヒリ感、ドキドキ感はない。日常を抜け出すのが旅だとすれば、もしかしたら今回は、大きく自分の日常から逸脱するものにはならないのかもしれない。

成田を昼の1:30に出て、クアラルンプール空港でトランジット。ここは初めて来た海外の空港で、もう何度目だろう、とても慣れた場所だ。それでもバンガロール行きの搭乗口に行くと、見渡す限り濃い顔ばかり。最初のときはこの雰囲気と、東南アジアとも少し違うにおいとにものすごく不安な気持ちにさせられた。約4時間のフライトで到着は深夜0時。日本からはマイナス3時間半の時差があるんだけど、これぐらいだったら時差ボケが全くない。僕の場合フライト中は時間感覚があまり無いないのと、今回は特にトランジットのおかげで、「バンガロールは現在0時です」と言われれば素直に適応してしまう。もしかして催眠術とかにもかかりやすいのだろうか。

2年ぶりのバンガロール国際空港は所々工事中で以前にもましてボロい。外の人だかりも、ホテルの客引きもあまり気にならず、仮眠。しかし、けっこう寒い。あるだけ着て寝ても熟睡できない。隣で寝ていたインド人のおばちゃんも寝たり起きたりしている。この人年齢の割にはとてもやせていてインテリジェンスな感じ。(インドでは結婚するとやたらに太っていく 太ることは裕福さを表すのだ)最初は目が合うとお互いに微笑んでいたのだが、話してみるときれいな英語を話す。国内線で到着して、朝家族が迎えに来るのを待っているのだそうだ。ボルダーマットを見てもらって、トイレに行く。
2年前と全く同じようにして、始発バスに間に合うように、バンガロールのバスターミナルへタクシーで向かう。しかしこの運ちゃんスゲー飛ばす。どのくらいで着くのか聞いたら、30分って言ったくせに15分で着いちゃったよ。そのかわり交差点は止まらないは、ギリギリで追い越すわ、おまけにシートベルトも壊れていて、死ぬかと思ったよ。





バス停は時間のせいか、寝ている人、待っている人でうごめいている。ひるみながらも記憶を探りHOSPET行きを見つけて乗り込む。三つ折ボルダーマットは大正解。棚にきれいに収まる。荷物を挟むことができないのが難点だが、バスの中でのストレスがないことはその欠点を補って余りある。バスの運ちゃんはタクシーとは対照的にまともな運転で、あの追い越しクラクションもほとんど鳴らさない。おかげで安心して眠ることができた。


朝は死ぬほど寒かったのに、太陽が昇り9時にもなると今度は急激に暑くなる。この温度差辛いわ。バスもだんだん混んできて、満席状態になった。長距離とはいえローカルバスなので各町村で停まり、そのたびに人が入れ替わる。バスの中はヒトの臭いで充満していて、最初はその臭いに圧倒されそうになるが、すぐに自分もその臭いを発し始めていることを自覚し、全く気にならなくなる。むしろ心地よくさえ感じる。バスに揺られること8時間、いい加減尻が痛くて座っているのにうんざりしている頃HOSPETに到着した。
HAMPI行きのバスに乗り換え、ごみごみした街を抜けると、周りは荒野や田んぼ、バナナのプランテーションが続く。懐かしい景色にどんどん近づいていく。バスを降りゲートをくぐるとそこはHAMPIのメインバザールだ。2年前の印度日記に予告して、ようやくハンピに帰ってきた。







メインバザールは少し新しい店が増えているぐらいで、あまり変わっていない。何だかゲートを通った瞬間から、すっかり警戒心が解けて楽な気持ちになってしまった。道行くインド人たちがすべて知っている奴のような気がして、はじから挨拶に答えてしまう。いくら2回目だからって、この気楽さはちょっと尋常じゃないようにも思えるのだが、ここの変わらないよさと雰囲気を本能的に感じ取ってしまったんだろうな。

2年前泊まったゲストハウスのオーナー、ムンタパにはすでにメールと電話とで連絡を取っておいてあった。とにかく荷物を降ろして、シャワーを浴びて一息つきたかったので、ゲストハウスを目指す。メインバザールから路地を一本入ると、もうそこは2年前とほとんど変わらない世界だった。もちろん小さなキオスクが増えたり、新しい店ができたりはしていたけど。前に作ってもらったサンダル屋は相変わらず地面に店を広げているし、レンタサイクル屋のガキはすっかり青年になっていたし、ジャーマンベーカリーは相変わらずうまそうなパンを作っていたし、土産物屋は同じ顔ぶれで一生懸命客引きをしていた。
ゲストハウスの前まで来ると、向かいのキオスクの足の悪い姉さんが、鍵を預かっていて渡してくれた。VISHWAゲストハウスは少しリフォームされてきれいになっていた。ひとりにはちょっと贅沢な2つのベッドと、バストイレつき。部屋の前の広いスペースには塀ができていて、勝手に上がりこめないようになってしまった。ここにマットをひいて寝転がって、人々の生活や、道行く人を眺めるのが好きだったのでちょっと残念。


          

荷を解いて、到着の安堵感に浸っていると、広場をはさんだ斜め向かいにあるNETRAゲストハウスの2階で手を振る影がある。そこはいつも飯を食っていたレストランで、いつも飯を作ってくれていたポンパだろうと思い、上がっていくとポンパの義理の兄になるヒロだった。
「ポンパはどうした?」と聞くと、ヒロは突然涙ぐんだ。
「え?え?え?何?」
「ポンパは去年死んだよ。ハートアタックだった・・・」
「マジで・・・・だってあいつは酒もタバコもやらないし、第一まだ若かったろう?」
「まだ21歳だった。でも去年の3月24日の朝、あいつはそこに寝ていてもう起きては来なかった」
「・・・・・」
そんな話をしていると、ムンタパとNETRAのオーナーのパパヤが上がってきた。再会の喜びと、悲しみがごた混ぜになる。


もう一人の友人、マヌーの家も健在で、奥さんのシャクーは服を作って売っているのだが、店も家も少し移動して大きくなっていた。マヌーは働きに出ているらしい。2人の子供、トゥループティー、ラウルも元気でみんなうれしそうだ。早速シャクーに服を頼む。
しかし、ここはあまり変わっていなくて良かった。ポンパのことは本当に悲しいけど、前と同じにゆったりとした時間が流れているし、とにかく人が良い。みんな、2年も前のたった3週間しかいなかった自分のことをよく覚えていてくれるし、このことも本当に涙が出るくらいうれしかった。
その夜はもちろんNETRAで夕飯。先に来ていたサキとアキも、驚くことにNETRAに泊まっていた。ヒロに勧誘されたらしい。前はあまり目にしなかった(今でもハンピでは違法らしい)キングフィッシャービールで乾杯。やっぱり最初はこれでしょう、と言う感じでスペシャルターリーを頼む。小さなカレーが3品にチャパティーとフライドライスがつく豪華版。量が多くて最高にうまい。
食った後は・・・・


        
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